えりんぎのノッティンガム大学日記

ノッティンガム大学マレーシア校に通っている日本人のブログです!現在はノッティン学大学イギリス校に交換留学しています!インスタ@eringinoryugakuも宜しくお願いします!!!

海南島のボランティア、最初の感想

2017年2月、私は初めて海南の地に降り立ちました。

 

滞在初日と最終日でこんなに考え方が変わった経験は初めてで自分の思ったことを帰国後文字に起こして団体の代表の方に直接メールを送ったらなんと中国語訳されるというこれまた初めての経験もしました。

 

自分の気持ちを文字という媒体を通して他の人に伝える素晴らしさはこの海南での出来事がなかったらきっと知ることもなく、将来のビジョンも不明確なままだったと思います。

 

今回はその時に書いた海南ハンセン病回復村での感想をここに残させてください。

 

 

行く前は初めての中国で初めてのキャンプで不安しかなかった。中国語を一生懸命勉強してきた方でもないし、中国のこともあまり詳しい方でもないので彼らに害を与えるような行動をしないかも不安で仕方がなかった。上手く打ち解けられるか不安に駆られていた。

しかし村で生活していく中でその不安が喜びに感じるようになった。村に来て初めての日、村人が手をつないできた。笑顔で会話してきた。始めて来る、しかも日本人のなんでもない私に心を開いてくれた。それが素直に嬉しかった。その瞬間、中国人、日本人という垣根が一気に消えた。彼らはそんなことを気にしてはいないんだ、ただ一人の人として接してくれているんだ、そう感じられる瞬間でもあった。自分の不安に感じていたことがちっぽけに感じられた。

 

私は普段は東京で生活し、ずっと東京に住み続けている。多くの人々が行きかう駅前、満員電車の列車の中。この瞬間、電車を降りてったあのおばさんとは一生会うことはないだろう。誰も他人に干渉することなく電車の進む音と喋り声だけが聞こえる車内。どこに行っても人がいるにも関わらず孤独に感じる瞬間が多い町。そんな街を村人たちは知らない。村人はこの小さな村にずっと住み続けている。

でも本当に今幸せなのはどっちなのか。好きな場所へどこにでも行けて好きなご飯をいつでも食べられてお腹が減ったら近くに買いに行ける、しかしふとした瞬間孤独を感じる、周りは他人で溢れている場所に生活している人。死ぬまでずっとこの村に住み続けるが、周りには心を許せるご近所さん、彼らとの交流を求めにやってくる若者がいる人。幸せの定義は人それぞれだとは思うが都会にずっと住んでいる私は時折村人の方が精神的な面では東京人よりも豊かな生活を送っているのではないかと思った。

 

一週間を通して私はできる限り多くのおばあちゃん、おじいちゃんと接しようとした。一人一人個性もあって性格も違い、どの村人と過ごす時間もとても楽しい時間だった。人によっては海南語しか喋れない人もいたため完全に会話でのコミュニケーションツールが途切れたがコミュニケーションをとる方法はそれ以外にもあったことに気付かされた。私の中で特に印象に残っているおばあさんが一人いる。そのおばあさんは海南語しか話せないため会話以外のコミュニケーションを通して心を開いていった一人。いつも家の前のベンチに座ってボーっとしていることが多かったおばあさん。私が近づくといつも何か話しかけてくる。当然何を言っているのか分からない。しかしそんなことお構いなしに私は毎朝の海南語の授業で習った海南語を使ってできるだけの会話を挑戦してみた。そうするとおばあさんはより一層笑顔が増し、私がおばあさんのところに行く度歓迎してくれるようになった。ただ会話をしないで手をつないでボーっとしているだけで居心地がよかった。それだけで十分だった。このおばあさんとの交流を通して知っている単語だけでも使って会話することの大切さを学んだ。

 

村にいるときの一週間は無駄なことを考えずに過ごすことができた。ただ村での生活を心から楽しむことができた。ただ村人の笑顔に幸せを覚えた。しかし同時になぜか悲しさも覚えた。こんな笑顔で幸せそうに見える村人たちは私たちと同じ年齢の時辛い思いをしていたに違いないし普通の人が体験しないような辛くて苦い経験をしてきたに違いないと。しかし彼らは今笑う。辛い思いをしてきた時間が多かった分、その時作れなかった楽しい思い出を今作るように、今の瞬間を大切に楽しむように。その楽しいかけがえのない思い出の一ページに私という存在を、私がこの村に来て彼らとともに時間を過ごしたことを残してほしいと強く感じた。少しでも多くの楽しい時間を彼らと過ごしたいと心から思った。

 

人生は一期一会である。そんな言葉を小さいころからよく耳にした。その時は重く感じていなかったが今なら言える、人生は本当に一期一会である。そして一つ一つの出会いは偶然的であるが実は必然的なものなのじゃないかと。もしこのキャンプに参加していなかったら、中国のイメージはメディアによって形成された虚構を信じ中国に対して決していいイメージを持っていなかったと思う。ハンセン病についてもただ耳に入れた小さな情報だけで「あ、こんな人たちもいたのね。可哀想に。」程度にしか感じていなかったと思う。参加していたキャンパーとも一生あうことはなかったと思う。でも今回村人と多く触れ合うことによって私のハンセン病に対する考えが変わっただけでなくて中国人に対する考えもプラスに持っていくことができた。

 

そして何よりも自分の中でのボランティアの形というものを想像から経験にランクアップさせることができたことも本当に大きな収穫であったと思う。この中国キャンプに参加する前から、ボランティア活動としてするべきことは彼らの生活水準をあげるためにインフラを整えたり学校を建てたりすることだという多くの学生団体の活動に乗り気でない自分がいた。どの学生団体もカンボジアに行こうとかカンボジアに学校を建てよう、とかありきたりなボランティア内容ばかりで、もう既にNGO,NPOだけでなく日本財団、JICA等国を代表するような団体が支援援助をしているところに学生が足を入れても意味がないんじゃないだろうか、下手に介入して中途半端な支援をしてしまうのではないであろうか、そんな不安が頭をよぎったからだ。このキャンプをすることでボランティアの形は様々で人と触れ合うことで育てられる絆、絆を構築することもボランティアの一つの形としていいのではないかと感じた。あの村に住む彼らは彼らの今の生活水準に非常に満足している。政府が新しい家を建ててくれたにも関わらず食事時になると前住んでいた家に戻ることの多い村人たち。お昼ご飯を食べ終えるとハンモックに集合する村人たち。テレビが好きな平人の中には最先端な超薄型テレビを買って日々の楽しみにプラスしている人もいたり、電気自動車を持っている人もいたり、自分の生活スタイルにプラス便利になるもの、ほしいものを付け加えればいいのだと感じること場面が多々あった。そうか、住んでいる環境も違ければ、ほしいものも違う。それを忘れていてはただのボランティアじゃなくて強要になってしまうのか。

 

今回のボランティアはただのボランティアじゃない、私の人生を変えるターニングポイントとなった。

 

最後まで読んでくれた方がいたらとてもありがたいです。

そしてもしもっとこの活動のことを知りたいと少しでも思った方がいましたらコメントを残してくれると幸いです。