えりんぎのノッティンガム大学日記

ノッティンガム大学マレーシア校に通っている日本人のブログです!現在はノッティン学大学イギリス校に交換留学しています!インスタ@eringinoryugakuも宜しくお願いします!!!

自己責任論について思うこと

ジャーナリズムについて勉強したいと思っている国際関係専攻の大学生です

将来の夢は報道記者になることです

 

日本のテレビを今見れていませんが、ネットニュースやツイッターにおいてじゃーなりリストの自己責任論が議論されているということを知り、色々見て自分の意見がすごく固まってしまってすごく記事を書きたくなったので書きます

先に言いますが、これは私の偏見です

そしてこの問題は絶対的な正解はない且つどの意見も全て一理あると思います。

下に私の意見を書いたのでよかったら目を通してもらえると幸いです

 

そして完全に留学と関係ないですがすみません

 

 

戦場に行って拘束されて帰ってきたら「よかったね」じゃなくて「自己責任でしょ」って言われるジャーナリスト。「それだったら外に出るな」「危険な場所だと知ってて現地に行く奴が悪い」そんな言葉をよく耳にする。しかしそんな考えに至る日本人は本当に平和ボケしているのではないだろうか。
 ジャーナリストはなぜ危険を顧みずに戦地へ行くのか?それはただただ伝えたい、この現状を多くの人に見せたいと思っているからだ。戦争もしない、武器も持たない、戦う兵も持たない平和な国、日本。当然内戦も宗教絡みの紛争も起こらない。しかし世の中には日々自分の身の危険を感じ、綱渡りの日々を過ごしている人もいる。そんなこと知らんぷりしてていいのだろうか。自分たちの国に関係ないから知らんぷりしてて良いのだろうか。無知は罪という言葉がある。私は知らないことは罪ではないと思う。世の中には常人では理解し難いもので溢れている。知らない方がいいことも多い。しかり知らんぷりすることは違う。知るべきことを知らんぷり。自分の立場では都合が悪いことは知らんぷり。日本人は世界の状況を知らんぷりでごまかしている部分がある。私たちは知ることを増やすよりも知らんぷりで細かして来たものを減らすという行為が重要であると気づいていない。そんな知らんぷりを必死に無くそうと現地に赴くのがジャーナリストたちだ。スマホ一つでどんな情報でも簡単に得ることができる今の社会だからこそジャーナリストたちは伝えたい気持ちが一層増すのだと思う。そんな情報化社会の勇者、戦場ジャーナリストを「自己責任」だの「自分が悪い」だのの言葉で片つけてしまっていいのだろうか。
しかし危機管理を怠ってしまったらその見せたいものを見せることさえできなくなってしまう。ここで重要なのは伝えたい気持ちが危機管理能力に勝らないように自己コントロールを常にし続けることだ。それを怠ったら自分の身に何が起こるかわからなくなってしまう。伝えたいものを伝えられず終いになってしまう。そこが戦場に行くジャーナリストが忘れてはいけない項目だと思う。
 知らんぷりし続けた結果ジェノサイドの終結が遅れたポルポト政権下の大虐殺、ルワンダの悲劇。これらに似た悲劇を繰り返さないために私たちは知らんぷりすることをやめ、世界の状況をもっと知ろうとしなきゃ行けない。だから私は日本で安田さんに対する冷淡な対応、自己責任論が議論されているのはジャーナリストの根本を理解しようとしていないように感じる。伝えるという同じ行為を行なっている放送局、新聞社がなぜ自己責任論ばかり伝えるのか、理解しがたい。まずどうしてジャーナリストたちは戦場へ行くのか、そこを理解することは重要なのではないだろうか。そして自己責任論ばかり議論する日本は平和ボケの塊であることを再認識することができた。今回の報道は日本人の世界で起こっている出来事に対する関心度の低さを明確化した出来事になったのではないだろうか